彼の名前は「エロゲリラ」。インパクトを持って迎えられるその通称は、実は自然や仲間と密に遊びながら育った彼の本質を、見事にそのまま表していた。

楽しむためには本気を出す。学ぶべきところは貪欲に学ぶ。そんな彼の姿勢は、ともすれば「真面目さ」にも繋がっている。本人はそれを「ギャップ」と呼ぶが、どちらの姿も、周りや自分が楽しく暮らしていくための努力の片鱗なのだろう。

業界の第一線を走り続ける spfdesign Inc. の屋台骨となり、一児の父となった今も、子どもの心を携えたままに成長を続ける「エロゲリラ」。仲間を作りながら楽しさを追って走り続ける、そのボールの行く末や如何に。

エロの面白さ

今回作るものは、「見たい人がみればいい」っていうより、向ける相手がいるんだよね。

もうちょっとアート的なものを作ってたら、見てる人とのコミュニケーションで何かおもしろいことが!みたいなことを言えるかもしれないけど、自分のはそんな作品じゃないし、なにも起こらないだろうなって思ってる(笑)。だから、顔が見えない人に向けて作るっていうよりは、知り合いが見ることを意識して作ったって感じかな。「あーゲリラくんアホしてるな」と思ってもらいたい。

やっぱ仕事としてやるのと、自分のものとして出すってぜんぜん違うよね。

うーん。違うね。やっぱり僕はアーティストではないし、ゼロから何かを生み出せるかっていったら、なかなか。与えられた情報を整理してサイトにする、みたいなところが普段の仕事だから、ゼロからってのは本当に悩むね。

自分が出来るっていったら、デザインとFlash。それプラス、自分の「エロゲリラ」って名前にある通り「エロ」ってのキーワードにと考えたのが最初かな。

自分が持っている引き出しを組み合わせてみよう、ってことで考えて行った感じ?

そうそう。あとみんなやっぱりカッコいいものを用意するだろうから、自分のキャラクター的にはちょっと茶化した感じのものを入れておいた方がいいなって。カッコつけるのって自分ぽくないなって思ったし。

その「自分といえばエロ」みたいになっていったのって、なんか経緯があるのかな。

うーん別に……多分、好きなんだろうと(笑)。自分が疑問に思ってる話とか、恥ずかしい体験だったりを面白おかしく言ってるだけで、みんなが共感して盛り上がる。やっぱりみんなが同じ土台に立つってのはあるかな。サッカーだったらサッカーしてないと分からないけど、エロの話題はみんな好きっていう。男っていくつになっても基本中学生の時から変わってないんですよ。僕の周りではとくに(笑)。

あと、エロ自体が面白いテーマだよね。アダルトビデオとかもそうだけど、面白ネタみたいなとこあるじゃん(笑)。

普通に見てんの?

最近はたまにね(笑)。最初はだいたいインタビューから入るじゃん。すごく清純そうで「こんな子がAVに出るなんて!」って少し親御さんを心配したりするんだけど、僕的にはそのインタビューシーンは興味がないから早送りするわけで(笑)。で、早送り後のシーンではもの凄いことになってたりとかするわけ……あのギャップはすごいなって。裏切られ方がハンパない。

様式美みたいなところあるよね(笑)。

それをいつも見てながら「これ面白いなー、今度みんなであったときに話してみよう、みんなどう思ってるか聞いてみよう」みたいな。そういうところで日々ストックしてる。学生ノリが抜けてないのかもしれないね。

色への着目

作品のモックアップを見せてもらったけど、しばらくじっと観ちゃうような面白さがあるよね。

何かしら、人の記憶には残るんじゃないかな。水着の色だけをビジュアライズしてるっていうのって無かったと思うから。あと、自分が好きな写真ばっかり集めたら、自分の好きな色っていうのも浮かんでくるだろうし、そのへん見てみたかったってのもある。

どうして「色」が気になるんだと思う?

色がついているモノがすごく好きなんだと思う。最近すごくよく言われることがあって、黒のダウンジャケットを着るようになってから「ゲリラくんぽくない」「雰囲気違う」って。ひどいのになると「誰だかわからなかった」とか(笑)。今日も黄色のシャツだけど、黄色だったり水色だったり紫だったり、ふだんは割とカラフルだったりするから。

確かに、チャリも水色だしね。

Twitter や Facebook のアイコンとかも水色だし、僕自身も「色」として認識されてるのかも。鎌さんもアイコンが黄色だし、原色が好きだし、spfdesign 自体が割とそういう見方をされてるのかもしれないね。

活動的であるっていう印象に「色」っていうのが乗ってくるのかも。たとえばスポーツブランドは、やっぱり色がはっきりしているのが多いし。

山もいくし、走るし、サッカーもするし……ってなってくると、確かに普段の服もカラフルなものばっかりになってくるね。最初はポイントポイントだけだったと思う。スニーカーだけ、帽子だけ、インナーだけとか。それがだんだん外側出てきちゃったね、最終的にはアウターもカラフルになっちゃった。

学生時代

学生の頃、普通に共学だった?自分のところは男子校だったんだよね。

うん、共学。男子校って逆に興味あるけど。

男子校……つまんないよ(笑)。女子の目が無いと、エロの話題に現実感がなくて虚しい感じがあるね。

僕んとこには割と女子も、チャラチャラじゃないけど目立つ子はいて、そういう子たちと話すと赤裸々に話してくれるから、みんなでワーワーしたりしてたなあ。僕の性格上誰とでも気兼ねなく話すから、不良グループってほどではないけど、そういうグループとも中学校のときから仲良くしてた。インドア・アウトドア問わず、バランスよく遊びまくってたな。

家の周りって店とか少なかった?

あるといえばあるけど、山も川も海もすぐだったから、遊びイコール自然とたわむれる、みたいなかんじだった。ちょっくら泳いでくるわっていって、学校の帰りに川に行って泳いだりとか。田舎は店が閉まるのが早いし、暗くなると人が出歩かなくなるから、一日の活動時間が短い。もう22時ぐらいになったら寝ようかなみたいな感じだった。僕はその頃から夜行性だったけどね(笑)。

いま、学生時代の友達と Facebook で繋がってるけどさ、こっちが仕事してる時に「イノシシ捕まえた!」とか「いま、タケノコ掘ってきました!」とかなんだよね、タイムラインが。いまだに「クワガタ捕まえてきた!」なノリ。

うちの学校の校庭はゴムだったし、公園も狭かったし、ぜんぜん違うな。

いいよ、田舎。東京だとグラウンドって貸し出してくれないけど、田舎だったら使い放題だから、ボール持ってったら球技ができる。

自分は割と壁作らないから「あいつ、サッカーするんじゃないかな」って思ったら、突然誘ったりしてサッカー仲間を増やしてた。当時はホント楽しかったね、もう一回戻れるなら戻ってみたい。

もっとサッカー上手くなりたかったね。今でもサッカー上手くなりたいもん(笑)。いまの直近の夢がそれ。いま走ったりしてるのも、痩せたいとかはちょっとしかなくて、フットサルしてるときに走れるようになりたいってのが大きいね。

この前フットサルやったら、吐く寸前まで行ったな……。ジョギングと違って、自分のペースじゃなく、状況によって走らなきゃいけないじゃん。

……運動した方がいいよ(笑)。あと、スケボーもかなりやってたな。

おお、いつぐらいから?

高校の頃からやってたね。ファッションについて詳しい情報屋みたいなやつが学年にいて、そいつが「どうやらスケボーってやつが来てるらしい、スケボーでジャンプできるらしい」って話になって(笑)。みんなで「とりあえずスケボー買ってみよう」ってなって、パーツから選んで、スケボーが届いた。

で、まずジャンプやろうと。でも……ジャンプの仕方がわからない(笑)。あのころはインターネット使ってなかったし、Youtubeがあるわけでもないし、飛んでる写真すら入手困難。でも飛べるらしいっていう情報だけはあったから、すごいみんなで試行錯誤して。後ろを蹴ったとき、前を思いっきり蹴ったら、バタバタして跳ねるんじゃないか?って話になって、みんなでバタバタさせながら練習してたな……。

そしたらあるとき、「ASAYAN」って雑誌の月イチ講座でスケボーの講座が始まって、そんとき初めて「オーリー」っていう存在を知って。「ジャンプじゃないぞ、オーリーっていうらしいぞ!」って(笑)。後ろを蹴って、前の足ですりあげて、重心を前に移動させると後ろが持ち上がって水平になるっていう。

でも近いところまでは行ってたんだね。チャリのと一緒だ。

そうそう。でも持ち上げたあとに前を蹴っちゃだめだった。オーリーを知った後は「そうか、このためにこのデッキテープはざらざらしてるんだな」って知った。すりあげるために。バタバタさせてたのはいい思い出やね。なんとか飛ぼうと、バタバタバターって。

それで、飛べたと。

飛べた飛べた。でもそこがまたアホで、他にトリックがあることを知らずに、オーリーだけやっておけばいいやってことで、そればっかりやってた。中学生ぐらいの子が「フリップ」っていう板を回す奴とか、「グラインド」っていう縁石とかに掛けて滑るのをやってて、衝撃を受けたね。僕はその隅でひたすら、ジャンプしかしてなかったから。

でもそのジャンプはすごく高い。

そう、ジャンプ力ばっかり上がっちゃって。工事現場にコーンあるやん。僕、コーン縦に並べたやつ飛べてたからね。ジャンプ力だけすごかった。

で、周りから「この人ジャンプすごいから、すげえトリックやるんじゃないか」っていう期待を持たれるんだけど、やっぱりずっとジャンプしかしてないっていう(笑)。ほんとに情報格差が生んだ賜物やね。フリップとか覚えてたらそこまで飛んで無かったかもしれん。そればっかりやってたから。

けっこう根気強いよね。やり続ける力みたいな。

距離と高さしか考えてなかったからね。人を4人ぐらい並べてジャンプしたりとか。そういう学生時代だったね。

ところで、ゲリラって兄弟で何番目なの?

2番目。上から、男・男・女・女・男。

大阪にいる弟が音楽を作ってるんだよ。ユニット組んで、週末、クラブでやってるらしい。誰だれのカップリング曲作りましたーとか Facebook に書いてるけど、一切聞いたことない(笑)。やっぱあれだね。兄弟のやってるやつは恥ずかしいね。

半分自分を見てるみたいな気持ちとかあるんだろうね。

ものすごカッコいいこと言ってるの聞いたりしても……すべて知ってるからね。「おまえちがうやん、そんなんじゃないやん」って(笑)。写真とか、イベント風景とか見ても、なんか兄ちゃんそっくりやし。「似てきてるなー」とか、そんな感想しかでてこない。

親が見る子供の活躍とかってそんな感じなのかも。

親はそんなこと気にしないから。いまだに僕の仕事のことも理解できてないし。言われることと言えば「ちゃんと寝てるか?」くらいかな。元気だったらそれだけでいいということなんだと思う。

兄弟が多かったっていうのが、ゲリラの雰囲気とか、フットサルとかに関係してる気はする。やっぱり、家が静かではないわけで。一人っ子と兄弟が多いのとだと、違う部分はある気がする。

そういうこともあるのかな、考えたらこともなかった。あ、猫も5匹ぐらい居たよ。戸締りしてないから、気がついたら野良猫がコタツの中に居たりしたもん。野良猫も自分ちだと思ってて。カオスだった。自分ちの猫の餌を、野良猫が食べてたり(笑)。

ひとりとみんな

学生時代、自分は完全にゲーセンに行くだけのオタクだったよ。

僕もだいぶゲームやったけどね。5人兄弟ってこともあって、誕生日にどれかのゲーム機を買ってもらえるわけ。だから家にはほとんどのゲーム機があったよ。一人っ子だとスーファミだけとかになったりもするだろうけど。

ゲーム樹がいっぱいあると友達がよく遊びにくるよね。あいつんちには全部あるぞみたいな話になって。……ネオジオあった?

あったあった。KOF95とかね。ソフト3万円ぐらいしたよね。弁当箱みたいなカートリッジで。

うっそ!富豪じゃん。

でもさすがにソフトは新品じゃなく中古だったけど。ネオジオCDもあった。サムライスピリッツとかやってた。一戦やるたびに「読み込み中」に待たされてたけど(笑)。

メタルスラッグもやってたな。グラフィックがすごく詳細に描き込まれてて、あんとき全然デザインとか意識してなかったけど、あれはすげーなーって思ってた。

メタルスラッグ、デフォルメ感が絶妙だよね。

そうそう!あとは Nintendo64 の「ゴールデンアイ 007」だったっけかな。知ってる?あれが地元で一大ブームを巻き起こして。誰の家に行ってもそのソフトがあって、強いやつは「神」とあがめられて。あれはすごい自分の中で面白かった。

FPSみたいなやつのハシリじゃないかな。あんな感じで現実と同じ視点で、自分の体は映ってないの。で、敵を見つけたら手榴弾投げたり、プラスチック爆弾とか、マシンガンもあるし、そういうのを拾ったりして手にいれるんだけど、スペシャルアイテムで「黄金銃」ってのがあって。それで撃たれると……一発で死ぬの(笑)。それがすごく面白くて。

4画面に分かれて対戦するんだけど、対戦では死んでも生き返るのね。でも生き返ったところに合わせて黄金銃を撃たれて、またすぐ死んだりとか。目の前で撃たれると避けられない(笑)。

(笑)ひどい!

それがすごく面白かった。僕らだけで盛り上がってたのかなって思ってたら、このあいだ新しいのが出て、けっこう周りの人が盛り上がってたな。年代も地域も違う人たちが「ついにあの黄金銃がでた!」ってなっててさ(笑)。みんなで対戦しようって話があったけど、それはまだやってないな。

ゲームやってる人って、ゲームばっかりって人も多い気がするんだけど、ゲリラはサッカーするとか、外に行くのと同じような感覚でみんなでゲームをやってたってことか。

そう、一人じゃなく複数人で。しかしあれは面白かったな。みんなで盛り上がれるってところで、すごく影響を与えられたような気がする。

遊びの一貫としてやってたんだね。

でも、実は自分が好きなのは RPG かな。ドラクエと FF、当時出てたやつはぜんぶやってた。あれは一人になる時間、夜ひとりになるようなとき、みんなと遊べない時間にやってたな。昼間はやらなかったね。

昼間ひとりでやると「もしかして僕、友達いないんじゃない?」みたいな気持ちになっちゃう。変に考え込んじゃうところがあって、「あいつもしかして今頃あのゲーセンで、みんなと遊んでんのかな」とか考えちゃうね。自分がいない場所で何か楽しいことが起こってるんじゃないか、と。

「みんながたくさんいる中に自分が居る」っていう状態が、自分にとってのふつうだったのかもよ。

確かに……そうかもね。

スチャダラパーからデザインへ

デザインの道を考え始めたきっかけは?

最初は「任天堂すげえ!」みたいなのがあって、ゲーム作りたかった。ASAYANで、スチャダラパーが「やっぱ任天堂すげーわー」「宮本ちゃん最高!」って言ってて……たぶん毎号毎号、言ってたんだろうね。「今月買ったもの」みたいなところでも必ず任天堂のソフトがあったりして、それ見て「ああ、僕も入りたい!」みたいな。

スチャダラパー、確かに、ゲームとかっこよさと不真面目さみたいなのをぜんぶ併せ持ってたよね。最初に買ったCD、「今夜はブギーバック」だった。……その次は嘉門達夫だったけど。

すごいね、ブギーバックなんて。僕が初めて買ったの、TRF の「EZ DO DANCE」だよ。おばあちゃんちの裏のレコードショップで見つけた、なんかこいつらすごそうやな、みたいなことだけで買った。あんなにひとつのフレーズを繰り返す歌ってあったっけ。ひたすら "EZ DO DANCE!" ばっかりで。CDってすぐリピートできるやん。で、リピートしたらまた ”EZ DO DANCE!” で。すごい衝撃受けたね、「これがCDかー」って。

まあそれはいいとして、ASAYAN が出始めたのが中学校の後半ぐらいだったから、一番粋がっていたいときやん。で、スチャダラパーみたいにだらけた感じで、真面目なんだけどだらけてて、それで生活してるっていうのがすごいカッコよかった。

確かにね。憧れがあった。

だから、ゲームを作りたいと思って大阪の専門学校の CG 学科ってとこに入ったの。

まともにパソコンに触ったのはこの時が初めてで、右も左もわかんないけど、あれやこれやとやってた。それまでパソコンは CD-ROM 再生専用機だったからね。実家は本屋だったから、そこから「総集編!エロ動画詰め合わせ」みたいな CD-ROM がついてる雑誌をくすねてきて、それ見るのにしか使ってなかった(笑)。

自分でなにかデザインした初めてのものは、友達から頼まれたフライヤーだったと思う。そこでもまた、ちょっと悪ぶりたいみたいなことで、女の子の裸みたいなのが載ってるフライヤーを作ってたはず。

そして広告の会社に入ったんだよね。それはふつうに面接で?

そうそう。そんときはデザイナーの中にもいろいろ種類があるのは知らず、とりあえず何の知識もないけど「デザイン」っていう言葉にひかれて「グラフィックデザイナー」になろうと。それにはまずアルバイトで業界に入ろうって思って、面接しにいったら「Mac 使える方ですか?」って聞かれてさ。でも Mac 知らなかった。存在は知ってたけど使ったことはなくて……。

とはいえ知らないとデザイナーになれないっぽいから「使えます!」って言って(笑)。そしたら「実技お願いします」ってなってね。素材だけ渡されて「○○分以内に広告作ってください」って言われてさ、「おれ使ってるマウスって右にボタンあるけど、Macは一個しかない!」っていう状態で、やばいやばいってなりながらも、探り探り作った。

でもまあ、一応モノがよかったらしくて、それでバイトに受かったの。

そういう姿勢、大事だね。

そこでは、会社にいる6〜7人で1日200件ぐらいタウンページに載せる広告を作らなきゃいけなくて、だからひとりで30件とか作ったりして……それを毎日繰り返してた。指示書があって、「イラストはこれ、写真はこれ」みたいな感じでナンバーで指定されてて、素材のカタログからそいつを見つけだし、組み合わせて広告を作る、みたいな。今思い返すとすごい流れだな、あれ。

Flash との出会い

そこでゲリラとFlashの出会いが訪れる。

会社で何気なく隣を見たら、先輩がサイトつくっててね。「すごいっすね、グングン動いてるじゃないっすか」「これはFlashってやつで出来てるんだ」って聞いて。

「アニメーションも作れるから、作ってみたら?」ってなって、なんか面白そうだから VJ の素材とか作るようになって。で作ったらその人に見てもらって「どうすか?」「ここをこうしたらいいんじゃないか」とかやりとりして。それがきっかけだった。

アドロックって分かる?僕とほぼ同時期に会社に入っててね、その人から Flash を教えてもらったの。そのころアドロックはレコード店でも働いててね。いまは広告代理店にいるよ。Flash 教えてくれた人が代理店に入ってる、しかもお互いタウンページの広告作ってたっていう、不思議な縁だよね。

そんな経緯があったんだ。VJってことは、クラブイベントに行ったりしてたの?

行ってた行ってた。先輩が DJ やってたから付いて行ったり、友達がやってるやつとかにいったり。それでクラブミュージックみたいなのが好きになって、VJ 自体はやってないけど、VJ 素材を作るようになった。

Flash、どのへんが面白かった?

自分で動くモノが作れるってことで、ゲームを思い出してたってのが結構近かったのかも。自分が作ったシンボルがすげえ簡単に動かせたから、びっくりした。Flash4か5ぐらいかな、シンプルに感動したよね。

今思ってみると、そのころからやってることはまったくブレてなくて、自分が一番最初のFlashのモーション作ったときも、ポルノ女優のトレースして、そのシルエット動かしたりしてた(笑)。

そして eggraphix の誕生へ。

Flash ではサイトが作れるらしいから、じゃあ全部 Flash 作ろうと思い立って。で、サイト作るなら屋号がいるなーって考えて「エロゲリラだからエロゲリラグラフィック……略して eggraphix だ!」となった。サイトになっても、出処不明っぽいエロ画像をコラージュして作ったのが一番最初やったりするから、やっぱり全然ベースはブレてないなと。

じゃあ、先に Flash があって、載せる場所としてウェブがあったって感じなんだ。

そう、ネットといえばそれまではエロサイトしか見てなかったね。誰かに見てもらうということは考えてなくて、サイト作れます!自分のサイトも持ってますって言いたかった。で、その時に借りたサーバーが、実は mokuva のサイトがあるサーバだったりする。ずっと契約してるからね。

そんな秘話が(笑)それで、自分のサイトを作って。

あの当時はみんな BBS で「サイトかっこいいですねー。相互リンクお願いします」ってやりとりしてたなー。お互いサイトは知ってて、でも顔は知らなくてって状態でやりとりしてた。GraphersRock の民穂さんも、asobi graphic のカワカミケイくんもBBSでやりとりしてて知り合いになったんだけど、東京に出てきたときに初めて会って、「ああー!」ってなった。

そういうふうになったのって、名前が「エロゲリラ」だったのもだいぶ大きいんじゃないかなって。ふつうに「山本耕平」だけで活動してたら、覚えてもらって無かったかも。

名前重要だね、確かに。一番最初に会ったときに「みんなの代表でビデオ屋に突撃してたから、エロゲリラなんだよ」って紹介されて、すげー名前だなって思った(笑)

いや、代表じゃなくて、みんなでビデオ屋に借りにいってたチーム名なんだけど……(笑)それはともかく、その名前は自分のサイトだけじゃなくて、他のサイトのBBSとかでも書くわけで、「この、やたら書き込んでる『エロゲリラ』ってのは何なんだ」ってなってたと思うね(笑)mixi でもいろんなところに足跡のこしてたから、いろんな人に「誰だこれ」って思われてたと思うよ。

まさにゲリラ活動(笑)まだネット界隈が広がる前に印象的な名前で活動してたから、知ってもらいやすかったのかな。

確かにそうだね。ちょうどいい時代を経験してるじゃないけど、そういう意味ではツイてた。今の時代だったら、みんなにそんなに知ってもらえてなかったかも。今はぜんぜん知らない人と知り合う機会があんまりないやん。

Facebookもあるけど、あれはぜんぜん知らない人と知り合ったりしにくいから。最近だとイベントとか行って知り合うっていうほうが多いのかも。

知り合いとしかやりとりしないし、「ネットっぽい」楽しさがなくなってきてる。イベントも昔よりは明らかに減ってきてるしね。

ネットで偶然知り合うってのは減ってきてる。モノを見て直接連絡するってのが減ってきてるからかな。いまはブクマして満足しちゃうよね。

そうそう。ブクマして終わっちゃう。ほんとはちゃんとやらないといけないんやろうけどね。mount のイムさんがそのへんすごくちゃんとしてて、感動したらちゃんと連絡取って会いに行ったりしてるみたいで。あの行動力はすごいなって。

それが当たり前だったあのころじゃなかったら、mokuva はできてなかったのかも。

mokuva 結成

自分は第二期メンバーなんだけど(笑)mokuva が立ち上がった経緯ってどんなだった?

最初にユーキくんから、自分のサイトのBBSに書き込みがあったのがきっかけかな。それでユーキくんと知り合って、同年代でなんか面白いこと出来ないかってことになってさ、そんとき「ヨザってやつがいるぞ」と。僕より先にヨザメンに会ってたみたいで「今度三人で一緒に会わないか」っていうことで、ヨザのうちに遊びに行って「なんか面白いことしようよ」って話してた。そのあたりが始まりだね。

イベントの展示に向けてTシャツ出すってのが、最初の活動だったよね。

そうそう、ヨザメンの家にあったガンダム本を見ながら話してた気がする。

ガンダムの本!

その本(アナハイム・ジャーナル)ね、Tシャツ作るときに参考にするって言って、僕んちに持ってったの。ちなみにヨザメンはその本の存在忘れてて、だから伝説の原典は、まだ僕んちの本棚にある(笑)。

展示の内容はというと、カラフルなTシャツに機体ナンバー入れるっていうやつでね。数字は東急ハンズでステッカー買ってきて、それを貼った上からステンシルっぽくやれば、周りだけ塗られるだろうって。

スプレー吹いてみたら、シンナーとスプレーの勢いでシールがヘロヘロになっちゃって。ぜんぜん上手いことステンシルにならなくて、散々な結果になった(笑)。Tシャツのサイズも、在庫が無くて XS だったか、ボーイズサイズだったか……その時点で過ちに気づくべきだったね。

そのときに mokuva って名前に決めたの?

いや、展示の前から mokuva って名前は決めてた。ユーキくんはそんときから全く変わってなくて(笑)「よし、名刺作ろう」って言って名刺つくったんよ。最初の名刺では、裏にピンク色でmokuvaって入ってたかな。その下地にニスかなんかでヨザメンが書いた絵が載ってて、で三枚集めると絵がそろうって感じになってた。

でも、なんで最初ガンダムの話になったのか、いまいち覚えてないな。思い出せない……どっかのタイミングで「名前を決めないと」ってなったのかな。グループ展やるから、とか?ぜんぜん覚えてない。まあでも、みんなガンダム好きだったしね。

ところでガンダムさ、ファーストの世代じゃないよね。小学生ぐらいだと、どっちかっていうとコロコロ、ボンボンからのBBガンダムとかSDガンダムとかだった。

コロコロとボンボン、読んでたな。SDガンダムも好きで、スーファミの「バトルコマンダー」やったりね。あと「SD・ザ・グレイトバトル」とかも。

そう、だからろくにガンダムのストーリーとか知らなかった。Zガンダムも小学生のころは観てなくて、なのに友達に「キュベレイはめっちゃつよい」っていう嘘をバラまいてたな(笑)「キュベレイめっちゃ強くて、ガンダムなんてイチコロ」って、そういう嘘をつきまくってた気がする。

上京、コラボレーション

個人サイトは、仕事にも大きな影響があったんだよね。

そう、広告会社に居たとき、社長に自分のサイト見せて「僕こんなことできるから、サイトの仕事も取ってきてくださいよ」って言ってサイトの仕事を、会社で初めてのウェブ制作の仕事をやった。

すごいじゃん。それ、ウェブ制作の事業を立ち上げたっていう。

そう言われてみればそうか(笑)。

で、だんだんもっとガッツリやれる会社に行こうと思うようになって、大阪で有名だった ZOOM DESIGN って会社に入った。そこはグラフィックが有名なところで、ウェブのチームは立ち上がって間もないぐらい。チームの人数も4人しかいなくて、一人やめるから僕が代わりに入るみたいな感じで。そこで初めて大規模なサイトを作るようになったかな。

mokuva に第二期メンバーが入った 2006年 ぐらいって、まだ大阪だったっけ。

ちょうど東京に出てきたぐらいかな?mixi やりながら、東京がものすごい楽しそうだなって思いはじめて。ちょうどそんときにユーキくんも東京に行くってことになってて、東京の話をいろいろ聞いてたの。こっちはいろいろ刺激があって楽しいよっての聞いて、行きたいなー行きたいなーって思ってた。

会社辞めて東京に行くか?とか考えてたときに、ちょっと思いついたことがあって。当時のウェブ関係の仕事って、打ち合わせを東京でやることも多かったの。だから「東京にウェブチームを作ったほうがいいんじゃないんですか、僕が東京いきますよ」って話をしてみて。

で、それが通って、大阪のウェブチームの上司と二人で東京にきたの。もともとグラフィックチームは東京にあったからオフィスはあって、そこに空いてる場所があるから、とりあえずそこでやろうってってことで出てきた。それが東京進出かな。

おお。前の会社のときもウェブ制作事業を作ったし、今度も東京チームを作ったし。

まあ、全部がぜんぶ移動してきたんじゃなくて、大阪チームと東京チームに分かれて出てきた感じだけどね。その東京チームで2年ぐらい仕事してた。

そこから、ユーキくんと一緒に上田バロンさんのサイト構築に携わる。

そうそう。これは6年ぐらい前か……すげー昔だな。深夜に作業をはじめて、明るくなるまで毎日ひたすら作業していたな。ユーキくんも朝まで一緒につきっきりで、モーションのブラッシュアップをしたり。ほんといい思い出。

細部の動きから、コンテンツごとのキャラの出現モーションとか、すごい相談しながら作った。この仕事がイマイチな出来だったなら、いまの僕はないのかもなって思う。これをきっかけに、デザインや実装への意識が変わった気がするね。

当時、グラフィックデザインをメインにしているユーキくんと一緒にやるっていうのは「そういう見方もあるのか!」っていう発見が多くて、すごく面白かった。自分としては「それはちょっと無理じゃないかな……」って思うようなことを、ユーキくんは平気で言ってくるから。「これ、こうなったほうがいいんじゃない」「え、それFlashじゃ無理なんだけど」「じゃ実現するにはどうしたらいいかな」という感じ。

ウェブでそれができるか・できないかっていう先入観を持たずに言ってくるってことかな。

そうそう。あと、ユーキくんが見てるサイトはすごいサイトばっかりだったから。THA とか bA とか。ああいうのは当然できると思ってるから「あの勇吾さんみたいな、ギュインギュインしてるやつやろうよ」とか……(笑)

だから、たとえばサムネイルのマウスオーバーの表現とかも、マウスの進入角度によってエフェクト変えたりとか、こういうのは当時 THA がやってるのをすごく参考にしてたな。

挑戦だったんだね。

そうだね、これをやったことで自分のレベルがすごく上がった気がする。それまで独学でやってきてたということもあり、ピクセルがズレたら文字が滲んでるっていうのを初めて指摘されたり。バロンさんのサイトをやるまではあんまり気にしてなかったから。

0.5px問題ね。

そうそう。「パキっとでるようにしいや」って言われてハッとしたり(笑)。

あと、裏側に MovableType を使って XML を出して Flash で読んできて表示するっていうのもやったな。当時そんなにノウハウがネットに転がってたわけじゃないから、手探りでなんとかしてた気がする。……とにかく盛りだくさんだったね。必死に学びながらやった感じ。

自分にとってのブレイクスルーの一つだったんだね。ちなみに Movable Type を使うような仕様は、どうやって決めたの?

ユーキくんからオーダーうけて、どういう風にするかっていうのを自分で考えてってかんじかな。spfdesign の鎌田さんがMovable Type をバックグラウンドで使ったFlashサイトを作ってて、「Movable Type ってこういう使い方できるんだ」って思った記憶がある。

そのとき鎌田さんとは知り合いだった?

知り合いではなくて、雲の上の存在だった。当時はブログ全盛だったから、みんなブログで TIPS とかも書いてて、良いサイトもいろいろ紹介されてた。だから、顔は知らないけどその人のブログは読んでるって感じだったね。そんな中で鎌さんのサイトとか作品を見て「こんなことができるんだ」「動きが気持ちいいなー」って目をキラキラさせてサイトをいじってたりしてた。

鎌田さんとの出会い

上田バロンさんのサイト作った後に、変化が訪れるんだよね。

バロンさんのサイトは Web Designing にも載って、いろんな人にこのサイトの話をされるようになったね。そろそろ次のステップをと考えてたときに、ユーキくんに「鎌田さんが人を捜してる、こんど会ってみる?」って言われて「ぜひ会ってみたい」って答えて。花見の場で会ったのが最初かな。東京タワーのふもとの公園のところ、ちょうど mokuva 展の DM の写真撮ったようなところで初めて会った。

で、よくわからんやつをいきなり入れるわけにもいかんから、一度仕事してみようってなって、それが ExciteMonomose ってサイト。その当時はブログが盛んだったから、トラックバックっていうのが注目されてたのね。だから、トラックバックすればするほどその記事がフィーチャーされたり、ランキング表示されるっていう仕組みを作った。

これもすごく大変だった。バロンさんのときに結構できるようになった気になってたけど、ここでもまたスゴいことを要求されてたから。

ボタンとかに、マウスオーバーすると四角がうにょうにょってなったりする、ラフな動きをする四角を使っててね。それは鎌さんがクラスで作ってたんだけど、クラスって存在をここで初めて知ったんだよね。ちょうど ActionScript3 になるぐらいの時じゃなかったかな。いままでも外部には書いてたけど、クラスを使ってはいなかった。そろそろ勉強しなきゃなって思ってたところに「ゲリラくん、うねうねするクラスあるから、これ使ってよ」みたいな感じで。

じゃ、ActionScript の組み方自体を学習する必要があったんだ。

正直言うと当時のことはあまり覚えてない(笑)というのは鎌さんのレベルのものを作らないといけないというプレッシャーから必死だったんだと思う。すごい人との協業だったし、自分の作り方だけでは組めない。あと、Excite 側が用意する XML をすべて読み込んできてビジュアライズするっていうのも難関で、カテゴリも多いし、トラックバックの数や、それにひもづく記事の数とか、とにかくすごい情報量だったから、それをなんとか処理しながらやってた。これはホントによくやったなあ。

そこでまた一段レベルが上がった。

うん、Monomose はなかなか良くできてたと思う。そして、これで頑張ったのを認められて spfdesign に入った。

spfdesign のスタイル

ゲリラが入る前って、spfdesign は鎌田さんだけだったよね。

そう、僕が二人目。鎌さんがアウトプットするレベルについていくのがものすごい大変で、徹夜しても徹夜しても時間が足りない。クライアントに出す前に鎌さんのチェックが入るから、その分の時間も必要だし、とにかく時間が無くて泊まり込んで作業してた。

入ったころにやった、印象深い案件は?

RMK かな。これは spfdesign に入った初期にやった仕事。「商品を見る」ってことに力を入れて作ったね。

当時ブログパーツが流行ってたから、サイトで商品見てもらうだけじゃなく、商品情報をブログに貼ってもらって、そこで見てもらったらいいんじゃない?っていう話になってね。商品の写真とか情報をブログパーツで見られるようにしたし、サイト自体でも商品をものすごい検索しやすくした。

サムネイルにマウスをあわせると拡大画像が見えるとか、マウスの位置で移動できたりとか、当時だと「これ、けっこう大変じゃないっすか?」って感じ。いまだったら JavaScript だけでやろうとしてるかもしれないけど、当時JSだけだともっさり重たいイメージだったから、FlashとJSを連携させながら作ったりしてた。

Flashを使うところとHTMLを使うところを分けてやってたんだね。

あと、商品にこういうのが使われてますよってのを楽しく見せるために、果物の写真とかが、物理演算で上からポロポロ跳ねながら降ってくる。マウスをドラッグして跳ねさせたりとか。これもほんとトライアンドエラーで形にしていったな。

バックエンドは全部 Movable Type で、そこの実装は小村さんがやってくれた。Movable Type をバックエンドに持って情報を出すっていうのは、Flashではやったことあったけど、HTML で商品をたくさん管理するっていうのはまた感じが違ってね。小村さんが死ぬ気でMovable Typeをいじってた(笑)。

いっしょに打ち合わせに行ってきて、戻ってきて作る、って感じだったの?

打ち合わせには必ずついて行くようにしてたね。ホントに作業時間がないっていうとき以外は、必ず行ってた。言われたことを実装するだけの人にはなりたくなかったから、どういう意図でデザインされてて、どういう企画なのかってのは知っときたかった。それは今も変わらず。

クライアントのオーダーが微妙だったりしたら?

そういうときは「やらないほうがいいですよ」って言って逆にこういうのはどうですか?って代案を出すって感じかな。鎌さんもハッキリ言うから、自分もそういう方針でやってる。見てくれるユーザーがいるわけだから、そのユーザーにとってベストだと思うモノを提案する。頼むほうからするとコントロールしづらいから、すごいやりづらいかもしれないけど。最終的にはすごく喜んでもらえることになると思う。

シンプルさ=楽しさ

ゲリラがものを作るときに、一番力を入れるポイントっていうのはどこなんだろう。

わかりやすさはもちろんとして、気持ちよさと、動きかな。そこは spfdesign が重視しているところでもあるし、もともと鎌さんは凄腕 Flasher として有名になったところもあるから、そこは脈々と受け継がれてるんじゃないかな。もちろんデザインはきちんとしてるってことを前提で、その相乗効果で、見てても楽しいし、さわっても楽しいっていうところ。いまだにそれは意識しながら作ってる。

「わかりやすさ」については? 部分的に切り取って、それを再構築する。今回の展覧会に出すモノもそうだけど「情報を整理する」というようなところ。

情報が多いと見るのも大変だし、動きとか気持ちよさに集中してもらうには、画面のものがなるべく少ないほうが楽しんでもらえるだろうなって。だからシンプルなほうがいいね。何より、自分が気持ちよくないとダメだろと。自分がみたときにスッキリ感をうけて、さわったときに気持ちよくないとダメってのがある。今回の作品はインタラクションなしの垂れ流しだけどね(笑)。

モノを考えるときって、その動きにハマるようなシンプルさっていう感じで考えるのかな。

要素の設計から入るときもあれば、動きから入るときもあるし、ケースバイケース。

たとえば、mahna mahna はけっこう動きが好評だった。アイテムが交互にぴょんぴょん跳ねながら横にスライドしていくようにして、一定時間過ぎると商品が一気に入れ替わって、また違った感じに見えるようにしたり。

これはクライアントから「たくさんの商品をバーッと出したいんです」って言われて、そこから「なるべくたくさんの商品が見えるように」ってのを意識して考えたな。で、ただ単に商品が見えるだけじゃなくて「それが楽しく見えて、たくさん見たくなる」ようにしたらいいよねってことで、動きを付けたって感じかな。

オーダーをきちんと動きに落としこむってことだね。

うん。あと、これは鎌さん以外と初めて仕事をした案件だから、その点でも思い出深い。LANCIA くんとやったんやけど、鎌さんの目の届かないところでのびのびとやった仕事かな。鎌さん自身も「めっちゃいい動きにできたね」って言ってくれたし。

そのころはまだ spfdesign に入って間もなかったから、鎌さんにすごく怯えていたんだと思う(笑)。動きひとつ付けるにも「これでいいのかな、こっちのほうがいいのかな」ってスゴい悩んで、出してみたら「いや、ぜんぜん違うよ」みたいなこともあったからね。

クライアントへの貢献

自分として達成感がある、っていうのはどんなとこだろう?

まず「自分が作った」って言えるってことかな。その反面、常に前を向いていたいところがあって、あとから自分が作ったモノをマジマジとは見たくないような(笑)。だから、作って期間限定で消えていくスペシャルサイトっていうのは、自分には割と合ってたんじゃないかなという気がする。

やってる期間中に盛り上がって、クライアントが喜んでくれたらOKと。

そうそう。バーッと盛り上がってね。ただそういうのって、費用対効果が良かったかどうかっていうのがなかなか難しい。近頃はクライアントの考え方が変化しているところも感じるし。

というと?

最近は、花火打ち上げても購買に繋がらないっていう認識が出てきてる。業界全体で不発弾があまりにも多かったから、ちゃんと繋がるモノもあったのに、クライアントが見限っちゃってるのかもしれないなと。

だから、作られるモノも変わってきてる。昔はアイデアと表現で作られてるサイトが多かったけど、いまはそうじゃなくなって、サイトにデザインは求められるけど、アイデアが求められなくなってきてるのかもね。「サイトは情報があるだけでいい」みたいな。「スマホで見れるように」が大事で「昔みたいな演出とか、そういうのってもういいよね」みたいな感じ。

「とりあえずある、見れる」が重視されるようになってきてると。でも、自分の印象的なところでいうと、Museum of Me とか、FULL CONTROL とか、ああいうのは残ってるよね。

あれはスゴいよね。でも、体感としてそういうのはやっぱりかなり減ってきてるよ。不況のせいなのか、iPhone のせいなのかはわかんないけど、スマホ・タブレットに引きづられて、萎縮しちゃってるサイトが多くなってる印象。Flash全盛の頃と比べて、今のウェブはそういう意味であんまりワクワクしなくなってきてるよね。

間接効果を測れないと、直接の売り上げしか見えなくなっちゃう。たとえばウェブ以外の広告費に換算するとか、測りにくいモノを測れるようにしていかないといけないんだろうね。

ユーザーが商品を買った本当の理由を知ろうとすることは、なかなか難しいから。

さこっちは、アーティスト系の仕事だとユーザーの反応がダイレクトに伝わってきて、それが新鮮だって話をしてたな。

ユーザーの反応という意味では、Styles っていうセレクトショップのサイトをリニューアルしたときのことでね。見やすくなったことでアクセスがぐーんと伸びたって話を聞いてうれしかった。商品を紹介して ZOZOTOWN に飛ばすようにしてるから、売り上げも上がって社内でも好評だと。購買に直結するようなサイトの仕事は、これが初めてだったかもしれない。

やっぱり売り上げが上がると、貢献したって感じがあるよね。

Styles はスポーツファッションってこともあって、扱ってる商品がすごいカラフルなものが多いから、商品をバーッとならべて目が行くようにしたらいいだろうと考えた。だから、サイトのデザインはシンプルめで、邪魔しないような感じにしたね。

きちんとユーザー視点で考えた。

もちろん。構成、デザイン、実装すべてを自分ひとりで担当した。大変だったけど、やりがいがあったし、伸び伸びやらせてもらったから楽しかったな。

spfdesign と「山本耕平」

ゲリラが作ったモノを見てると、楽しい感じとか、ポップな感じを受ける気がする。

XLARGE は特にそうかもね。カラフルな色で、アパレルブランドだから、年齢も中高生対象だから、明るく、カラフルなの大好きみたいな感じで、自分に上手いことマッチしたなと思う。

ASAYAN 読んでたときの自分に向けるみたいな。

そうだね。この話来たときはやっぱりうれしかった。自分もスケボーやってたし、XLARGE 着てたからね。

だからこのときも、自分が XLARGE のサイトを使う人間だったら、っていう風に考えて作ってたな。やっぱりこっちも Styles と同じく商品を見やすくってことで「商品を探すときにまず商品名で探す人なんかいないだろう」というところから、まず商品の写真だけを並べるようにした。自分が商品を探すとしたらタイトルとかは二の次だろうと。

これは鎌さんのアートディレクション無しで、自分一人でやってたから、その点ではやっぱりプレッシャーもあったけど、すごい楽しかった。打ち合わせも僕一人で行ってて、動きも自分で考えてた。鎌さんには「こんな感じにしようと思ってる」っていう報告に近い感じになってたね。

自分は人に指示されるとそれしかできないようなところがあるんだけど、逆に放置されると「あれもやらなきゃ」「これもやらなきゃ」「ここももう少し詰めなきゃ」ってなって考え込んで作るみたい。放任だったから逆に上手く言ったのかもしれない。

鎌田さんはデザインするときは自分のテイストを出さないって言ってるけど、ゲリラは自分の持つトーンとか、自分のスタイルについてどう考えてる?

ベースの考え方は、やっぱ一緒にやってきてるから自然と学んでるいる部分があると思う。でも、鎌さんとまったく一緒だったらダメだなってのがあって。XLARGE 作ったときにも、鎌さんだったらこの感じは出なかっただろうなって思ったし、鎌さんも同じ事を言ってた。

この案件は「自分ならでは」を考えるにあたって、大きなものだったんだね。

リニューアルが成功だったって聞いてるしね。売り上げが伸びるようになったって。それもすごいうれしかった。クライアントが「こうしてください」ってところに「こっちのほうがいいですよ」ってつっこんだ話もしていったし、その結果も出て、信頼関係が生まれた。

だから XLARGE 20周年サイトだったりっていう、次の仕事に繋がってるんじゃないかな。

そうなると、自分の色をどこまで出すか、だね。

そういう真面目な話は会社でもするよ。spfdesign は鎌田貴史の会社だけど、鎌田貴史だけじゃなくて山本耕平がいるってことも、知らしめていかないといけないよねって。

みんなとやっていく中で、自分をどのように出していくか。

なかなか難しい問題なんだよ。だから、今回みたいにプライベートで活動することはとてもいいことだよね。

そういうことをちゃんと話せる spfdesign は良いチームだと思う。周りからみても楽しくやってる感じもあるし。

そんなことを考えるとこまで来れたのも、鎌さんから「真面目に細かく手を抜かず、人が面倒臭がるところを頑張る」っていう、シンプルだけど重要なことを学んだからって思ってる。自分は天才的な才能があるわけではなく凡人中の凡人と思ってるから、ホントそのことだけで仕事をやっていけてる気がするね。

あと、さっきの話に繋がるけど、ひとりだったら「この時間だれかが楽しいことしてるんじゃないか」って考えちゃうところもあって、誰かといっしょにいるほうが自分としては落ち着くね。自分の興味とちょっと違う話が人づてで入ってくるっていうのもあるし。一人でやってたら SNS だけみてて、それが世の流れと思っちゃう可能性もあるからさ。

……しかし、ゲリラとこういう真面目な話になるとは予想してなかったな。

らしくない一面、普段とのギャップを出しちゃってるね。

自然の楽しさ

高知に居たときは自然で遊んでたってことだけど、その自然の感じが、いま作ってるものとか、考え方に影響してるところってある?

高知の大自然に囲まれて育ってたのはホントよかったと思うよ。ネットの検索だけではわからない、いろいろなことを学んだ。

アイデアとか企画を考えるときは、そのとき感じた温度感とか空気とか、そういうのは記憶から感じてるから、そのへんに生きてるのかもね。動きの面でも、子供のころに自然と触れた体験ってのは影響してると思う。子供の頃にモノをさわって気持ちよかったりとか、そのときの感触っていうのはベースにあるかな。自分にはまだそういう感覚がちゃんと残ってる。

宮崎駿さんが言ってたんだけど、最近の人は自分でマキ割ったり火を起こしたりとかしてないから、火の見え方とか描き方がぜんぜん違うっていってて、そういうのに近いのかも。魚捕りにしても、ロボットが魚捕ってるみたいって。魚捕まえたり、魚を捕まえると魚はこう逃げて、自分はこう動いて、みたいな。そういうのところを描くときに、今の子は体験してないから描けないっていう。

命が吹き込まれてないという感じなんだろうね。

仕事とは関係なくても、自然の中でっていうのは楽しいと思うけどね。自分の子供にも同じような体験させたいなって思う。魚捕ったりクワガタ捕ったり川行ったりって。タブレットとかPCとかはもうちょっと大きくなってからでいいから。

大人になってアウトドアにハマる人って、小さい頃にそういうのを体験してない人も多いみたいで、逆転現象が起きてるらしい。

自分も今になって釣りやってみたいとか思うもんね。

このあいだ、たに農園ってところで田植えの体験してきたの。僕は授業で田植えしたことあったから、別にそこまで新鮮じゃなかったけど、初めてやった人はやっぱりすごい感動してたね。ああいう経験を小さい頃にしといてよかったなって思う。

そういう環境に今後身を置きたいってのはある?

あるある。田舎で仕事できるなら、やりたい。嫁さんにも「田舎に引っ越してもついてくる?」って聞いたら、いくよって言ってもらってるし(笑)。

そこが自分のホームって感じがするんだね。

結局今やってることって昔と変わってないから。ボール蹴ってて、時間があったら山登ったりして。やっぱそういうところで一回自分をリフレッシュしたり、リセットしたりしてる。ホントにそういうのが好きなんだろうな。

そういや mokuva で一回もバーベキューしたことないねって話してたね。今度やろうか。

楽しいよ!僕はフットサルでバーベキューしてるからね。炭から火を起こすのとかは子供の頃からやってるから得意だし、そういう意味では、生活面でもすごく役立ってる。たくましく育った気がするね。

つるんでいく能力

ゲリラと言えばフットサルだよね。mokuva展ダイレクトメールの撮影地でもあるし。「チームエロゲリラ」ってどんな存在?

やっぱり生活の基盤になってる感じかな。東京生活で仲良くしてる人達は、ほとんどフットサルで繋がった人たち。仕事とか年齢とか気にせず、フラットに会えてるから、すごく楽しい。仕事で知り合った人じゃないから気兼ねなく連絡取れる。いきなり飲みに行ったりもできるしね。

チームを立ち上げたときって、どんな感じだった?

東京で学生時代を過ごしてるわけじゃないから、こっちだとやっぱり友達少ないし、自分が動かないと生活が楽しくなんないだろうなって。だからまずは自分でアクションしないとと思って。じゃあフットサルやろうと。

人に誘われないなら自分がチーム作っちゃえ!と思って、みんなにやりましょやりましょって言ってまわってたら、mount のイムさんが「じゃあやろう」って言ってくれて。でも「俺仕切るのイヤだから、おまえやって」って言われて「わかりました、僕やりますよ」っていうのがキッカケ(笑)。

そうして、フットサルやりそうなメンバーじゃなくても、経験者じゃなくてもいいから、周りでどんどん集めていこうってなって始まった。そしてみんながそれぞれ新しく参加したい人をつれてきて、どんどんどんどんウェブ制作業界関係の人が集まってきて、メンバーの入れ替わりがありつつも、未だに続いてる。

今までの話聞いてると、広告会社でウェブチーム作ったり、大阪から東京にウェブチームを持って行ったり、チームエロゲリラやったりとか、「自分が動いて枠を作る」ことをやってきてるんだなーと思った。

確かに、自分でイベントごと作って楽しくやろうってのは、結構やってるね。自分が山登りたいと思ったら、一人で行くのはイヤだから人を誘ってみたりとか、そういうのが多い。枠を作っといて、仕切りは他の人に任せて責任は持ちませんよっていう(笑)だいたい最初だけやるかんじやね。

先頭に立つっていうことではなく、その中のキャラクターの一人としてやっていく。

やっぱ最初に声あげる人が重要で、ある程度の道を作れば、あとは必ず誰かがやってくれるから。だからチームエロゲリラにしても、いちおうキャプテンはやってるけど、会計はLANCIAくんに任せたりしてるし(笑)。

本人的には自然にやってることなんだろうけど、スゴいなと思うよ。

やっぱり結局、小学校中学校の感覚を引きずってるのかも。誰かとつるんでおきたいっていうか。

「つるむ」っていうのは的確な表現かも。

やっぱり一人だと「友達居ないんじゃないか」っていうのを考えちゃうから(笑)誰かを誘うっていうのは、その頃からずっと繋がってるのかも。

メンバーからの刺激

mokuva メンバーそれぞれについて、どう思う?

みんなそれぞれの分野で活躍してるからスゴいなと思うよ。マギちゃん(※聞き手のこと)が頑張ってるんだから僕も頑張らなきゃ、って思ったりもするし。mokuvaのメンバーに活躍してる人が居るってところから、刺激を受けるところはあるね。

ありがとう。やっぱりみんな「mokuvaのメンバー」というプレッシャーというか、遅れを取ってはならないっていう気持ちがあるみたいよ。

そういう点で言うと、やっぱりさこっちがグングングングン名前を上げてるから、プレッシャーは感じるね。作ってるモノが強烈に良いものばっかりだから、すごく刺激を受けてるし。

他のメンバーは自分とはちょっと違うところにいるから、それぞれいい仕事してるなとは思うけど、自分と重ね合わせて意識することはなくて。でも同じ分野の人がいるってなるとね。

たとえば、コーゾーくんはヨザメンをちょっと意識してるとこあるだろうし、ヨザメンが世界一になったっていうことで、もしかしたら割と焦ったりしたかもよ。そういうことだと思う。

確かに、mokuva にはイラストレーターがふたり、Flashデザイナーがふたり居る。同じ道を志すものとして気になるよね。

見せてない努力がすげえあるんだろうけど、さこっちはすべてがチートレベル。オールマイティすぎるし、異次元すぎる。

今回の作品も、やっぱりお互い比べられると思ってる。自分もやっぱり最初にさこっちの作品が気になったからね。考えた末に、さこっちの土俵だと不利だから、自分は自分の土俵で勝負しなきゃって思った(笑)。

本人のキャラクターも違うからね。そういや、ワカメくんはデジタルでは無いもので来たね。

割と僕やさこっちに近いのかなって思ったら、そうでもなかったからね。ワカメくんはワカメくんらしく、我が道を進んでるよ。

ユーキくんはすべてのキッカケを作った男だけど。

今回の展覧会もユーキくんの一声がなかったらたぶん無かっただろうし。引っ張っていくよね、グイグイグイグイ。行こうよ行こうよみたいな感じやん。

あの力強さがユーキくんなんだろうなと思うし、「彼が言うなら」っていう根拠というか、そういうのがあるよね。

ああいうのすごいね、推進力っていうか。有無を言わさず引っ張ってくところがある。でも、今回もそうだし、結果的にいつも面白いことになるのは間違いないんだよね。

mokuva と自分

さっきギャップって話があったけど、真面目に不真面目をやるようなところ、自分と mokuva の感じっていうのが近かったのかもね。

たとえば、サイトはちゃんと作れるのに、流れる文字で「ようこそmokuvaのホームページへ」って出すみたいなの、あれは普段真面目にやってるからこそ出来るんであって。もともと大したことなければ、ふーんって感じだろうし。

そういうギャップは、自分と近いのかもね。だから8年間も何もせずに、ゆるくやってこれたのかも。

でも、こうやって一人ずつに聞いてると、みんな真面目にやってたんだなってわかるよ。

それぞれのギャップじゃないけど、似たような感じがあるんだろうね。なんだかんだで年数回は肉食って集まってたし。みんなちょうどいい温度感で接してるんだろうな。

2013年2月10日
中目黒のカフェにて